もくじ
難病になったから人にやさしくなれた
私は難病である潰瘍性大腸炎になり、好きな時に好きなものが食べれること、何気なく仕事に行けていたこと、体力が実は思ったよりもあったこと、健康な体ならトイレはある程度は我慢できることなど当たり前に意識せずにしていたことに気付きました。
自分が職場などで出会った持病持ちの人の事をちゃんとわかってあげてなかった事もよくわかりました。
治療によって体力がなくなってしまった、副作用で体が怠くなっている方などが、大げさに言ってるだけで甘えているのではないかとも思っていたこともあります。
自分が経験しないとわからないことってありますよね。
今は私が辛いことを職場の上司や同僚に言ってもほとんどわかってもらえず、以前の私のように、大げさにアピールしている、病気に甘えていると思っているのでしょう。
私自身が病気になり反省する点がいくつもあったので、考えるきっかけになりました。
しばらくは他の事を考える余裕がなかった
病気を診断されてからしばらくは、下血や下痢に悩まされ、高熱で苦しんでいたので余計な事は考えることができなかったですが、症状もある程度治まってきたときから、
『やっぱり自分は病気になったんだな。。。もう以前のような健康な体には戻れず、薬を飲みながら難病と共に生きるのか。。。』と思うようになり、絶望した時もありました。
事実を受け入れることに多少の時間がかかりましたし、
『なんで自分だけ病気になったんだろう。他の人も病気になって苦しんだらいいのに。』
そんなことも思うぐらい心に余裕がなかったです。
時間が経ち、退院した時には体重も20キロ近く落ちてしまい体力が大きくなくなっていました。
階段を上る事もできずに、信号が青になってから歩いても、ゆっくり歩く事しかできずに間に合わなかった事もあります。
高齢者の方が横断歩道をゆっくり歩いている姿をみて、もっとはやく歩けないのかな?なんて思っていたこともありましたが、確かに体力や筋力が衰えてしまうと難しいですよね。
やる事もゆっくりになり、できない事も多くなり、トイレの時間も長くなったり、病院で3時間以上待つことも当たり前になり、待つことや遅いことに対して何も思わなくなりました。
でもそこまで余裕があるようになったのは、自分の体の事をしっかり受け入れて、少しだけ前向きに考えるようになり出してからです。
人それぞれ当たり前だと思う事が違う
多くの健康な人に病気の事を言ってもほとんど理解はされませんし、理解しようとも思わないです。
これは自分も同じだったので理解してもらう事は難しいことなのはわかっているので、ある程度は諦めも大事かなと思っています。
ただ自分の身近にいる人にはある程度分かってもらいたいなという気持ちはありました。
人それぞれ当たり前と思っていることが違います。
今できていることが別の誰かにとってはできないことかもしれません。
たとえ私に頻繁にトイレに行くな。我慢しろと言われても、それはかなり難しい事です。
なぜなら、私は潰瘍性大腸炎で体調が悪い時は、一日に何度もトイレに行くことになり我慢ができないからです。
トイレが我慢できないのは小さな子供だけかと思っていましたが、自分は大人ですが行かなかったら大変な事になります。
こんなことも我慢できないのかと思う人も多いかもしれないですが、潰瘍性大腸炎で苦しんでいる人にとってはかなり難しい事なのです。
薬の副作用で気分が悪くなったり、食べれていたものがお腹が痛くなるから食べれなくなったりと、前までなかった事やできた事ができなくなったりして、人によっては見えてないところで苦労してる人もいるのかもと思うようになりました。
難病になって人にやさしくなれた
苦しんでいることは人によって違うので全部を理解することはできないです。
ですが、自分が辛く苦しんだことにより、病気によって健康な体では気付かなかったことがたくさんわかり、相手が言えないだけで苦しんでいるのかもしれないと思うようになりました。
疲れやすくなっただけかもしれませんが、怒る事が少なくなりました。
できない事をある程度受け入れているので、イライラとすることがなくなったからと自分では思っています。
人にはやさしく。自分にもやさしく。
難病になってよかったとは思いませんが、なったからこそ優しくなった自分が今はいます。
心に余裕をもってこれからも過ごしていこうと思います。
他人は自分が思っているほど気にしていない ↓
まだの方はぜひ読んでくださいね。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
やさしい気持ちを大切にして頑張っていきましょう。